掌に絡めたのは 甘く儚い紅の花 5


ユウ、と呼ぶたびに、神田はいちいち振り返ってくれる。
そしてまるで合言葉のように、ラビ。と返すのだ。
「仕事、終わったのか?」
それまで読んでいた本を閉じて神田が身体をラビの方へ向けると、ラビも神田に近付いてすぐ傍へと腰掛けた。
「ああ。今日はおしまい」
ラビが笑いかけると、神田は小さく笑みを作って、そうか。と呟く。
『ユウ』と言う名前をラビが神田に与えてから、また神田は少し表情が増えた。
どうやって笑ったらいいのかわからないと言った感じだったのが、自然に笑みを作っている。
「じゃあ後は一緒にいられるんだな?」
すっと近付いてきて、神田はラビに本を渡す。
「うん。・・・何、ユウってばオレがいなくて寂しかった?」
「・・・別に」
ふいっと顔を逸らして、つれなく神田が言う。
「ただ、最近よく呼び出されてるなって思っただけだ」
そう思ってくれることが、寂しいと思っていることではないのだろうかと思うのだが、プライドの高い神田はなかなか自分の弱いところを見せようとはしない。
苦笑しながら、ラビは昨日読んだところを探してページを捲る。
「んー・・・どうも前っからジジィが見たがってた書物があったみたいでさ。ちっとそれ読むのに苦労してるみたいで、オレも手伝ってんのさ」
これがまた難しくてさーとラビが愚痴をもらすと、神田は驚いたように目を丸くした。
「・・・ラビでもわからないことってあるんだな」
神田の言葉に、ラビはもちろん。と頷く。
「ジジィに言われるとむかつくけど、オレなんて確かにまだ半人前のペーペーさ。知らない全部をわかろうとしたら、一生を十回繰り返してもまだまだ足りないくらい。・・・そんだけ、この世界は不思議に満ちている」
きらきらと輝く目で語り出すラビを、じっと神田は見つめる。
「・・・そんなにこの外は不思議なことだらけなのか?」
「ああ!たっくさん、てんこもりさ!・・・だって花のこと語らせたら、絶対にユウの方がオレよりたっくさん知ってるさ」
俺の方が?と意外そうに聞き返してくる神田に、ラビは大きく頷く。
「ユウはユウで、オレとは違う生き方をしてるから見るものも違う。そしたら、覚えるものも全然違ってくる。・・・オレは今のオレの生き方も好きだけど、できたら全部のもの見てみたいんさ・・・!」
嬉しそうにしゃべるラビを見て、ぽつりと神田は、いいな。ともらす。
「ん?」
「いいな、ラビは。・・・俺も一緒に、ラビと同じものを見てみたい・・・」
伏せてしまった視線を上へと上げると、天窓からはいつものように燦々と光が降り注いでおり、その光が神田に生きる力を与えている。
普段は人間と変わりなく見え、ラビ自身も神田が花の精霊だと言うことを忘れていることもあるが、こうしたふとした瞬間に神田はヒトではないのだと気付かされる。
「・・・神田は、この屋敷から出たことないん?」
「ああ、ない。・・・前はここじゃなくて中庭で他の精霊たちと一緒にいたんだが・・・蕾になってからこっちにつれてこられた。この部屋に入ってからは庭に行ったこともない」
空を見たまま、神田は寂しそうに目を閉じた。
神田よりは随分自由だが、ラビもそうやって行動を制限されるつらさは知っている。
認めようとはしないだろうが、仲間思いの神田がこうやって一人隔離されるのは、随分な苦痛だろう。
「・・・外、出たいさ?」
ぽつりと言ったラビの一言に、神田はなんとも言えずに顔を伏した。

□■□

忙しいからは何故かは知らないが、クロスはよくこの屋敷を留守にする。
ちょうど神田のことで聞きたいことがあったのだが、本人がいないのでは仕方ない。
「私が答えられそうなことなら、よかったら聞かせて?」
アニタは少しだけの興味と好奇心を覗かせてラビに聞いてきたが、答えられないとかそういうのではなく、何となくアニタには聞きづらくてラビは曖昧に笑ってその場を逃げた。
あれから神田も、我が侭とも言えない小さな願いを口にも出さずに、ラビと一日を過ごしている。
それでもふとした時に見上げる空への―――自由へのまなざしは消えずに映った。
「ラビくん」
神田のところを少し抜け、ブックマンの仕事を手伝っていたラビは、後ろから聞こえてきた綺麗な声に迷わずに足を止めて振り返る。
「アニタさん」
隅まで手入れされている廊下は、アニタが小走りに近付いてきてもキシリとも鳴らない。
ただ、と、と、と言う軽いアニタの足音だけを響かせて、ラビの下へと近付いてくる。
「どしたんですか、そんなに急いで」
普段からキッチリとしたところはあっても、アニタが廊下を急いで歩いているところなど見たことがない。
弾んでしまった息を整えるように大きく深呼吸するアニタの頬は赤く高揚しており、どこか嬉しさを隠し切れないその表情には見覚えがある。
「クロス様、帰っていらっしゃったわよ」
「え、ホントに?!」
「ええ。今自室にいらっしゃる筈だから、この前のこと、聞いてみたらどうかしら。ちょうど機嫌も良いみたいだし」
アニタがどれだけクロスを大切に・・・愛しているかは、まだ会って日が浅いラビでもよくわかる。
こうしている間もクロスと一緒にいたいだろうに、わざわざその時間を割いてまで知らせに来てくれた。
(こんな人を好きになれたら、幸せだろうな〜・・・)
「・・・ん?」
そうぼんやりと思ったことに、ラビは眉を顰める。
なればいいじゃないか、好きに。
例えアニタの意識がクロスに向いていようと、自分が誰を好きになるのとはまた別の問題だ。
振り向いてもらえなくても『いい』と思うのなら『好き』になればいい。
「・・・ラビくん?」
眉を顰めたまま言葉を発さなくなったラビに、アニタは不思議そうに小首を傾げるが、ラビは気付いていないようでまだ硬直したようにだんまりと考え事をしている。
(こんなに綺麗で性格だっていい人をどうしてオレってば好きにならんの・・・?)
今まで何度もラビのストライクゾーンをぶち抜いた女性は何人もいる。
アニタはその中でも最高の女性だ。
なのにどうして自分は反応をしないのだろう。
「・・・・・・」
「ら、・・・ラビくん・・・」
うーん、とも発さなくなったラビを心配してアニタはそろりと声をかけるが、やはりラビは反応を返さない。
「・・・ラビくん・・・ラビくん!どうしたの?」
「へ?ぅ、あ!」
意を決したようにアニタがラビの肩を掴んで音量を上げると、ようやくラビは我に返ったようで焦って目の前に迫ったアニタを見た。
「大丈夫なの、ラビくん・・・」
「え、あ、はい!だいじょぶッス!・・・ちっとボケーッとしちゃっただけ」
「・・・ホントに・・・?」
からかいや嫌味ではなく、ただ純粋に心配してくるアニタのまなざしに、じんわりとラビは心が暖かくなる。
心配をしてもらえるのは嬉しいが、美人にしてもらえるのは更に嬉しい。
不純なことを思いながらも何とかそれを表情に出さずに、ラビはやんわりとアニタの手をとって一歩下がった。
「全ッ然絶好調さ!・・・じゃ、オレ、ちょっと会ってきます」
まだ心配そうなアニタだったが、ニッカリとラビが夏の太陽のように眩しい笑顔を向けると、ようやく安心したように手を下ろした。
「もしホントに具合が悪くなったら言うのよ?神田のこと、大切にお世話してくれるのは本当にありがたいけど、それでラビくんが身体壊しちゃったら意味ないんだから」
はい、とラビは一つ返事をして、アニタとすれ違って廊下を小走りに行く。
神田、と言われて胸が跳ねた。
(・・・・・・?)
妙にざわざわとしたものが胸の内側を撫でてくる。
しかし、ラビはそれが何なのかは理解が出来なかった。


「よう半人前」
久々に会ったクロスの最初の一言が、これだった。
相変わらず名前を呼ぼうとせず、ラビもそれに関しては諦めていたがこの呼び方だけは不快感を隠せない。
思わず眉を顰めてしまうと、クロスは煙管から口を離してクツリと笑う。
「なんだ、本当のこと言われて気分が悪くなったか?」
自分の吐いた言葉を一寸も申し訳ないと思っていない発言に、ラビはますます不機嫌を隠せなくなる。
素直に見せるラビの表情に、クロスは面白いとばかりに笑うだけだ。
「おいおい・・・ブックマンならちっとくらい感情ってもんを隠してみろよ。そんな感情剥き出しにしてたら、いつまで経っても半人前のままだぜ?」
ブックマンとして感情を殺せ、と確か教わっているラビは、クロスの言葉に反論できない。
「・・・聞きたいことがあります」
この人には口で戦っても勝てないのはよくわかっているので、ラビはあえてクロスの言葉を無視して会話を続けていく。
機嫌が良いのかクロスは、ラビのその態度にも口端を吊り上げて、なんだ。と聞いてくる。
「・・・神田をあの部屋から出してください」
「駄目だ」
直球なラビの言葉は、すぐにクロスに切って捨てられる。
そう簡単にオッケーが出るとは思っていなかったが、あまりに早い切り替えしにラビの方が言葉に詰まってしまう。
けれどそこで詰まってばかりはいられないので、ラビは再びクロスを睨むように見つめて口を開く。
「・・・神田は外に出たがってる。別に自由にしろなんて言ってない・・・です。・・・ただ、散歩くらいさせてほしいんさ」
ラビの言葉に、クロスは煙管に口をつけると長く息を吸い、ふぅっと白い煙を吐く。
そして煙草盆に雁首を傾けると、中の灰を落とした。
「お前はどうも、アレの価値をわかっていないようだな」
「・・・・・・」
「花精霊はその希少性から欲しい輩などいくらでもいる。しかも神田は椿の精霊だ。あれほどに美しい精霊は、俺は過去一人しか見たことがない」
ふわりと笑む、神田が思い出される。
「あれ一人を売るだけでお前が一生自由に旅をできるだけの金が入ってくんだ。狙ってくる輩だって腐るくらいいる。それらから手っ取り早く守るにゃあいつを閉じ込めるのが一番だろ」
「っだからって!あいつが望まないことしていいのか・・・?!」
クロスは煙管に灰が残っていないかを確かめると、再び雁首の火皿に丸めた煙草を詰めていく。
「アレが望む望まねぇの問題じゃねぇ。アレは俺のものだ。いつか高い金が入ってくるものを守って何が悪い」
その一言に、ラビはカッとなってその場を立ち上がった。
「ユウをもののように言うな!!ユウには自分で考えて願うことだってある!それをお前が全て決めれるようなこと言うんじゃねぇッ!!」
「―――ユウ・・・」
激昂し、煮えたぎるような思いに、更にラビは言葉を吐こうとして、クロスのその一言にハッと息を飲む。
だるそうにしていたクロスが、面白いものを見つけたようにその瞳をラビに向けてくる。
「ユウ。・・・それはもしかして、神田のことか?」
「―――――」
「お前がつけたのか?」
ふいっとラビは顔をそむける。
「・・・あいつは、受け取ったのか」
ラビは答えない。
答えられない。
油断してしまった。
最近はずっとユウと呼んでいたので、気をつけていたのについ口から出てしまった。
これ以上事態を悪化させたくなくて今度はだんまりを決め込んだのだが、ぎゃくにそれがクロスにはYesにとられてしまう。
「・・・そうか・・・なるほどな・・・」
笑いを含んだ言葉に、ヒヤリとする。
今すぐここを逃げ出そとする足を何とか踏みとどまらせていると、再びクロスがラビを呼ぶ。
「まぁいい。ともかく、アレを外に出すな。わざわざ宝を危険にさらす必要など何処にもない。わかったな?」
「―――――ッ」
いちいち勘に触るクロスの言い方に、またラビの頭に血が上る。
ラビはそのまま襖を引いて廊下に出ると、ドスドスと足を鳴らして去っていく。
その若い後姿を、クロスはくつくつと笑いながら見送った。


ラビがいない静かな部屋で神田はぼぉっと空を眺める。
ガラス越しの空は、あの庭から見た空と比べて青がくすんでおり、素直に綺麗とは言えない。
けれどこの天窓から覗く光と熱が自分を生かしているのも事実で、神田はいつも複雑になる。
「・・・・・・」
正座をしていた足を崩した際に、コツリと手に硬いものが触れた。
なんだろうと視線を落とすと、そこにはラビが貸してくれている星座の本がある。
神田はそっとその本を手に取ると、中を開く。
何度も何度も見た筈なのに、何度見ても見飽きない。
いつも何気無しに見ていた星座に込められた意味や物語を聞く度に胸がうきうきする。
そしてそれ以上に、ラビといる時間は心が躍った。
逆にラビがいないと、前以上に穴が開いたような虚無感に襲われる。
「・・・ラビ・・・」
名前を呟き、扉を見つめる。
あの扉を超えられたら、もっと長く近くラビの元にいられるのに。


「・・・・・・」
本から視線を上げて、ラビを盗み見る。
ラビは本を膝の上に乗せてはいるが、先程から一ページも捲られていない。
ただぼーっと紙面を眺めているラビに神田は眉をひそめた。
いつもなら自分に本を読み聞かせてくれるか一緒に本に集中してしまうかしてしまい、こうしてラビが本も読めないくらいボーっとしているのは始めてみる。
どこか具合が悪いのだろうか。
いい加減不安になり、神田は本に栞を挟んで閉じた。
「ラビ」
「・・・・・・」
「・・・ラビ・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
何度呼びかけても反応が返ってこず、むぅっと神田は唇を突き出す。
一歩ラビに近付いてオレンジ色の髪を多少強く引っ張ると、痛ッ!と声を上げてラビが神田をようやく見た。
「ゆ、ユウ・・・?」
「・・・なに、ボーっとしてんだ」
つまらなさそうに唇を突き出したままそう言うと、思っていた以上に拗ねた声になってしまった。
「ごっごめん・・・!ちっと考えごとしてて・・・!」
「考え事・・・」
なんだ?と思わず視線で問うてしまうと、困ったようにラビの視線がまた下がった。
「・・・いいけど・・・」
別に強く追求する気がない神田は、すぐにラビから視線を外した。
ラビもすぐに神田からお許しが出たことに安堵しながら、もう一度謝罪する。
意識がようやく自分に向いたことに神田は少し気分を浮上させ、ラビを見やる。
「お前はいつも難しいことばっかり考えてるのか?・・・それ、疲れないか?」
「む・・・ずかしいことばっかって訳じゃないけど・・・んー・・・そさな・・・考えちまうのはもうクセかな」
「・・・クセ・・・」
うん。とラビが頷く。
「一応モノ考えるのが職業だからさ。もう染み付いちまってるんさよ」
「へぇ・・・大変なんだな」
妙に関心したような神田の言葉に、ラビは苦笑してしまう。
確かに他の人なら大変かもしれないが、もうラビはこれが普通になってしまっていて、大変と言う感覚がもうわからない。
「ユウは、普段どういうこと考えてるんさ?」
突然話を振られ、神田は驚いたように軽く眼を開いた後、そうだな。と正座をして手を足に置く。
「・・・今日はラビに何教えてもらうか、とか、今日は星座をちゃんと見つけれるか・・・とか・・・」
「ははっ!なんだ、ユウも勉強家なんじゃん!」
レベルは違えど同じ様なことに、思わず声を出して笑ってしまう。
「・・・あとは・・・」
ラビの笑い声に胸を妙にむず痒くさせながら、最近よく考えていることを思い浮かべる。
「あとは?」
くつくつとまだ笑いながら聞いてくるラビに、神田はどもってしまう。
そして少し迷った後、なんでもない。と消してしまった。
「何、教えて欲しいさ。あとユウは何考えてるん?」
「言わねぇっ!」
ツンと神田はそっぽを向き、再び本を開く。
しばらくラビはしつこく神田に絡んでいたが、話そうとしないことに諦めるとまた読みもしない本を同じ様に開いた。
その顔をまた覗き見ながら、思わず言いそうになってしまったことを思い返す。
(・・・これを言ったら、駄目だ・・・)
考えではない、願いを言ってしまえば、またラビに迷惑をかけてしまう。
―――・・・外、出たいさ・・・?
ぽろりともらしてしまった願いに、ラビは真剣にそう聞いてきた。
あの時はなんとも答えられなかったが、頷けばきっと優しいラビは神田の願いを無理してでも叶えようとしてくれる。
迷惑をかけてしまうことが嫌で、神田は唾と一緒にその願いを喉の奥へと飲み込んだ。

ラビはラビで、どうやって神田を外に連れ出してやろうか算段をつけていた。
神田の口から聞いてはいないが、あの焦がれるような視線はどう考えても外に出たいに決まっている。
外に出す最大の問題は、やはりクロスだろう。
クロスがいる時に行動するのは危険が高すぎる。
(・・・ならやっぱ、あいつが留守にしてる時を狙うか・・・)
そう決まれば、まずは情報を集めなくてはならない。
よし。と心の中で決意を固めつつ、ラビはやはり本の内容など一文も頭に入れずに計画を立てていった。

□■□

クロスが再び屋敷を出て行ったのは、それから十日後だった。
突然のことだったのでラビは慌ててしまったが、一応自分の中で落ち着きを取り戻して行動を改めて整理していく。
あれからラビも極力クロスとの接触を控え、できるだけ前と変わらないようにすごしながら庭の場所やルートや時間をはかっていき、大体の状態は把握した。
アニタがクロスを見送ったのが、午前十時。
それからラビはドキドキする気持ちを抑えながら昼飯を食べ終え、食器を戻す為に部屋をでた。
普通に普通にと心の中で呟きながらアニタと二、三言会話をし、そのまま踵を返す。
「・・・・・・」
神田のところへ帰ると見せかけ、ラビは横道に逸れた。
そして今はもうあまり使っていない、与えられている客間へと入ると、自分の荷物からまだ使ったことがないシャツとズボンを引っつかみ、足音を立てないように急いで神田の部屋へと戻った。
「ユウ!」
今まで見たこともない剣幕でやってくるラビに、神田は目を丸くしながらもラビに向き直る。
ラビも滑るようにして神田の前に座ると、いつもの穏やかさを感じさせないような剣幕で口を開いた。
「ユウ、正直に答えてほしいさ」
「どう・・・したんだ、突然・・・」
食器を置きに行く前とは別人のようなラビに、神田は驚いてしまう。
気になるのは、ラビが持っている包みにもある。
けれど聞ける雰囲気でもなく、神田はただきょとんとしながらラビの言葉を待つ。
「外、出たいさ?」
「―――――」
直球な質問に、神田は言葉を詰まらせてしまう。
しばらく経っても答えてくれない神田に、ラビはキュッと眉を寄せる。
「・・・ユウ、正直に答えてくれ。別にユウがイエスって言ったってノーって言ったって、オレは誰に言う気もない」
「・・・ラビ・・・」
ラビの言葉に、神田は伏せてしまっていた視線を上げる。
自分を見つめるラビの視線はいつも以上に真剣で、どれだけ大切にしてくれているかが感情に薄い神田にもよく伝ってくる。
「オレは、ユウが外に出たいって言うのならどんなにあいつに逆らったってつれてく。・・・ユウがここにいて満足だって言うのならオレはユウが望んでくれる限り傍にいたい」
「・・・ラビ・・・でもそれは・・・」
どこにいるのもラビがいてくれると言うのは嬉しい。
ラビがいるとなんでもないこの部屋も楽しくて、まるでキラキラ輝いているようだ。
外に行って、あの広い中でくすんでいない空をラビと見られたなら、きっと何よりも素敵な景色だろう。
だが、ラビには他にやらなくてはいけないことがあると言うのも神田は知っている。
知っているからこそ、いくら自分が望んでもラビに負担にさせたくないと言うのも神田には芽生えた。
「・・・そんなことをしたら、ラビも叱られるだろ・・・?」
「別にそんなことどうだっていい・・・なぁユウ。オレが聞きたいのはそう言うことじゃないんさ。・・・なぁ・・・『ユウ』はどう思う?」
「ラビ・・・」
もう一度、神田の視線が落ちる。
「・・・ラビがつらい思いをするのは、嫌だ・・・」
いつも自分を気にかけてくれるラビ。
クロスはともかくアニタは確かに優しくはあったが、アレもクロスの手のもの。
信用がどうしてもできない。
そんな中出会ったラビは、神田にとってかけがえのないものであり、無理をしてくれているのを知っているからこそこれ以上迷惑を本当にかけたくないのだ。
神田の言葉に、ラビは唇を噛む。
そしてもう一歩神田に近付くと、暖かいとも冷たいとも言えない手を包み込んだ。
「オレはなんもつらくなんてないさ。・・・ユウがそうやって自分を押し込めちまってることの方がよっぽどつらい。だから、ユウがオレに我が侭言ってくれる方がオレは嬉しい」
「・・・ラビ・・・」
からかいなどではない。
その翡翠の目には、ただひたすらに自分を想ってくれるものが宿っている。
揺れる。
迷惑をかけたくないと思う心が揺れてしまう。
あの扉の向こうにある自由に、ラビともっと一緒に居れると言う願望が揺さぶりをかける。
「ユウ」
優しく呼んでくれる自分の名前に、我が侭がを押し込めていた唇が、そろりと開いてしまう。
「・・・出たい」
ポツリと呟いた言葉に、ラビは耳を澄ませる。
「ここから、出たい。・・・外に出て太陽の光浴びてお前と・・・しゃべってみたい」
「ユウ・・・」
瞳孔がわからないくらいに真っ黒な瞳が、まるで星を映したようにきらりときらめく。
ようやく神田の口から出た本心に、ラビは嬉しくなる。
「わかった」
ラビはそういうと、持ってきた包みを神田の前に出した。
「・・・?」
戸惑いながらも差し出されたそれを受け取りって包みを解いてみると、そこには自分のとは違う、ラビの着ているものに近い服があった。
「ます、これに着替えるさ。その服じゃ動きづらそうだし、汚しちまったらすぐばれちゃうし・・・」
そう言ってラビは白いシャツと黒いズボンを広げた。
再び神田は服を手にし、わかったと頷く。
すぐに帯を解き始める神田の相変わらずの羞恥心の無さに、ラビが照れてしまい慌てて身体を反転させる。
しゅるしゅると言う小気味いい音と、パサリと布が床へと落ちる音。
想像するなと自分を叱っても、どんどんと裸になっていく神田の身体が頭の中に浮んでいく。
悶々とした気持ちを振り払うように、先日ブックマンから教わったばかりの難解な言語を思い出しては脳にまた叩きつけていく。
神田はというと、ズボンは何とか穿けたものの、シャツの着方がわからないで困っている。
一緒に寝るということは、パジャマから服に着替えるのも一緒と言うことで、自分とは違う着物に着替えるラビを神田は密かに見ていた。
それによりズボンは穿けばいいと言うのはわかったのだが、ボタンのついたシャツを着たことがないので、手本がないのだ。
「・・・・・・」
とりあえず着物を着るように羽織り腕を通すが、やはりそれ以上がわからない。
「ラビ」
こうしていても仕方がないのでラビを呼ぶと、すっかり着替えが完了したと思ってラビは安心したようにガチガチに固まっていた肩を降ろして振り返った。
「終わっ・・・た・・・」
安堵と焦りと照れが入り混じったような笑みが、一気に固まる。
目の前には白磁のような神田の肌があり、更に神田自身がシャツを持って肌をさらして来るのだ。
「どうやってこれを着ればいいんだ?」
ちらりと、もう少しで胸の頂が見えそうになる。
「・・・!!!」
焦って近付き、シャツを急いで合わせと、突然の行動に神田はきょとんと目を丸くして真っ赤になっているラビを見つめる。
「・・・ラビ・・・?」
そっとシャツを持つラビの手に手を重ねると、またラビの手がヒクリと痙攣するように揺れた。
小首を傾げてラビの顔を覗きこむと、ラビは口端をヒクリと揺らしながらも笑みを見せる。
「ぼ、ボタンの留め方知らんさよな・・・ごめんな」
「・・・いや、別に・・・」
そのままラビは、神田の手を振り解かずにボタンを留めていく。
自分のよりも幾分か大きい手が器用に動くと、そのたびに神田の手に暖かい体温が強く伝わってくる。
「・・・さ、出来たさ」
程なくしてすべてのボタンが止め終わると自然にラビの手が離れていき、日向のような体温が惜しくて神田は思わずその手を追ってまた握り締めてしまう。
「・・・ユウ・・・?」
「――――」
その行動には神田自身も驚いたらしく、すぐにその手を離す。
「わるい・・・」
「・・・いや・・・」
神田がラビの体温を求めることは別に珍しいことではないが、今まではやんわりとラビが離れれば神田もさらりと離してくれて、わざわざ追ってきたことはない。
どうしたのだろうと思ったが、神田自身が自分行動をうまく理解していない様子なので、聞いても答えられないだろう。
神田の行動にドキドキしつつ、ラビは再び神田に手を差し出した。
「行こうぜ。あいつがいない今がチャンスなんだからさっ」
じっとラビの手を見ていた神田は、すぐにその手をとって歩き出した。
どんどんと扉が近付いてくる。
妙に身体を強張らせてしまいながら、その扉を抜けた。
扉の向こうを見たのは、ここに連れて来られた時以来だ。
出たからと言って劇的な変化はなかったが、やはり部屋とはまた違う空気の流れがそこにはある。
「・・・・・・」
ラビに導かれるように進みながら、神田は空気を思い切り吸い込む。
胸が高鳴る。
こんな気持ちは初めてだ。
「・・・ラビ」
辺りを見回しながら、小さな声でラビを呼ぶ。
それでもラビの耳にはちゃんと届いたようで、振り返って安心させるように笑みを見せてくれる。
「どしたさ?」
ラビの顔を見て、また胸がきゅう、となり、神田は繋いでいる手に力をこめた。
「・・・なんだかここがおかしいんだ。どくどく言ってる・・・」
着物とは違う薄い布は、神田が左胸に手を押し当てるとすぐにその低いながらも体温を伝える。
「緊張してるんさ・・・?だいじょぶさ、もし見つかったって、ユウだけはちゃんと守るから・・・」
緊張、と言うものがわからない神田は、更に自分の状況を伝えたくて口を開く。
「嫌な感じは、あんまりしないんだ。ただ、ふわふわするような、妙な感じだ・・・」
なんと言ったらいいのだろう、この思いを。
もどかしさに、ラビほどとは言わないが、けれどせめて自分の思いくらいをちゃんと伝えれるくらいの語彙が欲しい。
「・・・すまない・・・」
思わず謝ると、さらりと髪を優しく撫でられる。
ラビを見ると、おかしいさを堪えるように笑っていた。
「ユウは、もしかしたらこういう状況って楽しんじゃうタイプなのかもなー」
「・・・?」
どういう意味だ、と聞こうとしたところで、またラビが歩き出す。
神田も逆らわずに足を勧めると、ラビはもう一度こちらを振り返ってニコリと笑った。
「どんな状況も悲観しないのは、いいことなんさよ、ユウ」
やはり、ラビの言っていることがわからない。
でもラビが『いい』と言っているのなら、きっとおかしくはないのだろう。
ドキドキが高鳴っていく。
でもそのドキドキは、ラビがいなければきっとこんなふうに自分は気にしたりしない。

何度も庭と神田の部屋とを往復し、クロスやアニタ、ブックマンの一日の行動も観察して下見はばっちりだが、実行するとやはりどうしても焦りが生まれてしまう。
普通に歩いても結構な距離があるが、やはり歩きなれていない神田を連れての行動は予想以上に時間を浪費してしまった。
ラビが神田の世話をするようになってから、アニタは食事を呼ぶ時以外は近寄らないので昼から夕飯前までは自由に行動ができるとふんでいるけれど、予想もしない事体だって起こってしまうかもしれない。
廊下を曲がるたびに誰かに出会ってしまいそうで(特にクロスは居ないとわかっていても神出鬼没なので要注意だ)そのたびに減速していることも更なるタイムロスになっている。
ちらちらと時計で時間を見ながら、ようやく庭へと辿り着いた。
「・・・ホントは中庭につれてってやりたいんだけど、あそこ鍵かかってるから・・・普通の庭で我慢して欲しいさ」
申し訳なさそうにラビが言うと、神田は首を横に振って握る手に力をこめる。
「ラビが謝る必要なんてどこにもない。・・・俺はこうしてあの部屋の外に出られただけでも感謝している」
「・・・サンキュ」
硬い笑みで笑いかけ、ラビは戸へと手をかけた。
神田もラビからそちらへと視線を移し、自然に上がってくる呼吸と整えるように大きく吸い込んだ。
「・・・開けるさよ・・・」
ぐ、と力を込めると、重いのは一瞬だけで後はスラリと抵抗なく開いた。
隙間からどんどんと生まれてくる光が眩しくて、神田は思わず目を細める。
真っ白だったそこは段々と色を持ってきて、見たことのある緑や茶色へと変わった。
「―――――」
神田が閉じ込められる前に居たところに比べると、雑然としており手入れも行き届いているとは言えない。
「ここはこの家の裏庭みたいなところさね。オレが言うのもなんだけど、あんま綺麗じゃないけど・・・」
ラビの言葉が遠くなってしまうくらい、神田は目の前の光景を見つめている。
息を吸えば、咽てしまうくらいの緑の香り。
さらさらと言う風の音に、――――くすんでいない、空。
ずっと望んで夢見てきた、部屋の外の世界。
ふらりと神田は再び足を進め、庭へと降りる。
素足だったが、地面が見えないくらいの草のおかげで足はさほど汚れない。
ラビも神田にならって庭へと降りて神田の反応を見ていく。
ぼうっとしたように辺りを見回し、空を仰ぎ、地面を見てはまるで泣きそうに笑う。
感情が薄い神田が見せるその表情に、胸がまた跳ねる。
恍惚としたように辺りを見回しているくせに、ラビと繋いだ手は離そうとはしない。
そして一通り望んだ景色を見た後、神田はラビを振り返った。
「・・・お前と、見れた。・・・綺麗だ。―――嬉しい」
「―――――」
嬉しい。
そう言って神田は、本当に花が咲き綻ぶように美しい笑顔を浮かべた。
風が神田の髪をさらい、背中へと流していく。
言葉も、出ない。
言葉も出ず、頭も真っ白になってしまう。
そのくせ頭の一番深く冷静な部分が、今まで燻っていた想いに不意に名前をつけた。
アニタを見ても、好きだと思えなかった理由。
どんなに否定していても、結局は嘘をつけなかった、想い。
(・・・オレは・・・)
ヒトの扱いに慣れているはずの自分が、妙に慌てふためいてしまった。
近くにいるだけでどきどきして、そのくせ安心して。
(・・・そっか、おれは―――)
絶対に、神田には嫌われたくない。
(・・・オレは、ユウが好きなんさな・・・)
名前を受け取ってくれた時のあの込み上げてくるような喜びは、ユウだから与えてくれたものだったのだ。
ラビの手から力が抜けると、神田はそのまま嬉しそうに庭を歩いていく。
樹に手を乗せ、まるで話しかけるように額をつける。
木漏れ日が神田に落ちて、髪や肌がきらきらと光を受けては眩しいくらいに反射する。
「・・・やべ・・・」
神田に聞こえないくらいの声で呟き、ラビは腕で顔を擦る。
今の自分は首まで真っ赤だろう。
だって、ぴりぴりするくらいに熱が集中しているから。
「――――」
外してしまった視線を、もう一度戻す。
自覚していない時とは比べ物にならないくらいの胸の高鳴りがラビを支配する。

嘘もごまかしももうきかない。
心の深い部分から、もうその想いがどんどんと浸透してしまっているのがよくわかり、出来るはずもない。


・・・ユウが、好きだ・・・。


否定はしない。
する気も、もうない。

けれど純粋に自分を大切に想ってくれている神田のことを思うと、針でつつくような罪悪感がラビを包むのだった。



☆NEXT☆


コメント

えぇっ!ラビってば自分の気持ち理解してなかったのかよ!ってツッコミが聞こえてきそうですが、実はしてませんでした(笑)
相変わらず別人ユウたんですが、もうその別人ユウたん書くのが面白くてしかたありません(笑)
まだまだ続きます〜。