嫌いと言う言葉を知ったのは、好きというものを教えてもらったすぐ後だ。
嫌い、は、好き、に比べてわかるまでが随分と早かった。
「ユウがあのクロスに感じるのがそうだと思うよ」
その一言で、なるほど。と納得できてしまったから。


「ラビ、外に行きたい」
それが最近の神田の口癖だ。
午前中は今までどおり本を読んで楽しむのだが、昼食が終わるとすぐにそうねだってくる。
キラキラと輝くような瞳で見られればラビに拒否することなどできず、その手をとってしまう。
慣れてきたのか神田の歩みはだんだんと速くしっかりとしたものになり、時間が短縮できたこともラビが神田を外に連れ出してしまう原因でもある。
もちろんクロスの不在とアニタ、ブックマンの行動を把握しての、相変わらず慎重な行動ではあるが。
「そうさな。そろそろ行こうか」
ラビが立ち上がると、すかさず神田も立ち上がってその手を握ってくる。
「ッ」
触れた低い体温に、痙攣したように掌が反応してしまう。
「ラ」
不思議に思った神田が口を開く前に、ラビはその手を握り締める。
「じゃ、行くさ」
振り返り、ニコリと笑うその笑顔。
違和感を拭えずに、それでも神田はこくりと頷いた。

移動中は声を出してはいけないと言う約束通り、神田は一言も発さずにラビの後をついてくる。
繋いだ手は緊張からか力が篭っており、ラビから決して離れようとはせず、それが恥ずかしくも嬉しい。
「・・・さ、着いたさ」
緊張から強張っていた力を肩から抜くと、つられたように神田も長く息をはき、裏庭へと辿り着いてもその手は繋がれたままに木の根に腰を下ろした。
神田は周りを見回し、何度か深呼吸をした後、持ってきた本を広げて片手でそれを捲り出す。
「・・・なぁ、そのままだと見難くないさ?」
ラビが手を解こうとしても、神田が抵抗するので繋いだ手が離れない。
思わずラビが聞いてしまうと、別に。と返ってくる。
「・・・こうしてると、あったかくて気持ちいいから・・・好きだ」
そっと親指でラビの手の甲を撫でると、暖かい体温がそこからじわりとしみこむように伝わってくる。
もっと感じたくて身体を引っ付けると、ラビの身体がまたひくりと小さく痙攣した。
寄りかかっている神田にもその振動は伝わってきたが、気にするよりも早くラビが同じように寄りかかってきたので、更に神田はラビに身体を預けた。
(・・・ラビは不思議だ・・・)
こうしているだけで、心の底から安心する。
何をするでもないのに、ただラビの気配を、体温を感じることができるのが嬉しい。
好き、も、嬉しい、も、なんと言っていいのかわからないこの胸の中の感情にひとつずつ名前をつけて教えてくれたラビにその言葉を返せるのが幸せだ。
相変わらずクロスからはつらい検査はうけているし、拘束が解けた訳でもない。
それでも、ラビとこうしていられるのなら、我慢などいくらでもできる。
(最近、なんかおかしいけど・・・)
時々感じる、微妙な違和感。
不安が後押しするように、自然と口が開いてしまう。
「・・・ずっとラビとこうしていられればいいのにな」
ぽつりと呟いてしまったその願いが叶わないことは、神田自身が良く知っている。
(・・・だって、俺は―――)
「―――――」
神田は更に強くラビに抱きついた。

「・・・ずっとラビとこうしていられればいいのにな」
ドキリとした。
くっついたところから全身で鼓動しているようなこのドクドクと言う血の音が聞こえそうなくらいに。
神田のことを好きだと自覚してからは自然に神田にくっつけなくなってしまった。
嫌だからではない。
恥ずかしいのに、そのくせ一度触れたら離れなくなってしまいそうだからだ。
(ユウ・・・)
けれどそれと同時にその願いが叶わないことを承知している為に素直に喜べない。
自分と、神田の間には絶対に別れが待っている。
神田が精霊で、自分はブックマンだからだ。
ここに留まっているのも、ブックマンとしての仕事をこなす為であり、バイトでもなければ雇われた訳でもない。
(・・・オレは、遠くない内にユウから離れなきゃいかんのさね・・・)
この旅がツラいと思ったことはあれど、やめたいと思ったことはなかったが、神田に対しての恋心に気付いてしまった今は離れがたくてしかたがない。
触れるのが、触れられるのが恐いくせに、完全に離れるのは嫌なのだ。
(・・・このままユウを連れ去っていけたら・・・どんなにいいかな・・・)
つやつやの黒髪に頬を寄せると、ふわりと太陽にようなぬくもりが伝わってくる。
ここに来るようになってから神田は以前よりもずっと血色がよくなってきた。
以前は乏しかった表情も大分喜怒哀楽がはっきりしてきて、特にたまに見せてくれる笑顔は本当に花が咲くように美しい。
ずっとずっと神田と一緒にいたい。
けどそれは、叶わない願いだ。
「――――」
この口で嘘を言うのは容易い。
いくつも、何度もついてきた嘘がどうしても出てきてくれない。
抱きついてきた神田をするりと解いた手で強く抱き返すと、ふわりと甘い香りが鼻腔に届いた。
(・・・甘い・・・良い匂いだな)
何度かこの場所には来ているが、こんないい香りは初めて嗅ぐ。
(離れることが決まっているのなら・・・やっぱりちっと離れることに慣れておかないと駄目なんかな・・・)
神田が、ではない。
自分が、だ。
「・・・・・・ュゥ」
ポツリと呟いて、キスを落とすように黒髪に顔を寄せると、またふわりと甘い香りが鼻に届き、ささくれた気持ちをほぐしてくれた様で、ラビはしばらく甘い香りと甘い体温を味わった。

□■□

「やつらの様子はどうだ」
久々に帰ってきたクロスは、猪口に酒を注いでもらいながら口を開いた。
「随分仲良くなっておりますよ。神田もラビくんをとても信頼していますし」
「そうか」
にやりとクロスは笑うと、一気に猪口の酒を飲み干す。
乱暴にテーブルへと置くと、心得ているアニタがすかさず次の酒を注いでいく。
しばらく酒を注いでは飲み干すと言うのが繰り返されるが、クロスはもちろんアニタもその沈黙を臆することなく、むしろ心地良さそうに受け止めている。
「・・・なぁアニタ。お前神田の名を聞いたことあるか?」
「名前・・・ですか?」
「ユウ、だとよ。あの半人前が名付けたようだ」
「あら・・・」
アニタは驚いて目を丸くする。
「あいつ、俺がつけてやった名は一つだって反応もしやがらねぇのに、あいつがつけた名は随分と気に入っているようだ。その名で呼ぶなと怒鳴られた」
「まぁ、神田がですか?」
クロスはくつくつ笑いながら、いつもの穏やかな表情を驚きに変えているアニタを見る。
「どうやら随分と神田はヤツにご執着らしいな。今まで何人か使いをやったが反応ひとつしなかったくせに」
コツン、と音を立てて猪口を置くと、呆けていたアニタは慌てて酒を注ぐ。
「そうですね、ラビくんも神田のことを大切にしてくれてますし・・・穏やかで何よりです」
「大切に、ね」
ものとして扱った神田のことを、ラビはまるで自分を貶されたように激昂した。
「・・・ヤツがどれだけテメェの気持ちに気付いているかは知らねぇが、まぁそういうこったろうな」
クロスの言葉に、すっとアニタは表情を引き締める。
「いかが、いたしましょうか」
クロスは酒を飲む手をやめ、視線をぐるりと部屋一周さまよわせた後、結局猪口に口をつけた。
「もう少し放っておけ。いざとなったら俺が出る。お前はいつもどおりに振舞っておけ」
「・・・しかし」
口を挟もうとしたアニタをスッと見ると、アニタは口ごもった後、結局震えながらも唇を動かす。
「・・・もう、あまり時間がありません・・・私・・・私は・・・「わかっている」」
華奢な身体をクロスが抱きしめてやると、身体の力を抜いてクロスにその身をゆだねる。
「俺は自分に非が出るようなことはせん。・・・例えどんな手を使ったとしてもだ」
はい。とアニタは小さく呟き、まるで真珠のような涙を一粒掌に零した。

□■□

「ユウ、入るさよ」
ああ。と言う声が聞こえたのでラビが扉を開けると、すぐそこに神田は腰を下ろして本を読んでいた。
「おかえり」
それまで読んでいたところにしおりを挟むと、神田はすぐに本を持って立ち上がった。
「ユウ、そんなところでどしたんさ?」
いつもは天窓の下で日向ぼっこをしているのに。
神田は口ごもった後、ふいっと顔を逸らせて天窓の方へと歩いて行ってしまう。
「ユウ?」
その後をついていくと、神田は一番日当たりの良い場所にストンと座り、ちらちらとラビを見上げてくる。
神田の様子に、ああ。とラビは何か思い当たったように笑いながら、神田の横へと腰を下ろす。
「オレがいなくって寂しかったさ?」
冗談めかして言うと、神田の頬がほんのりと染まる。
「・・・別に・・・ただラビが遅いなって思っただけだ・・・ッ」
そういうのを、寂しいというのだ。
ラビは口の中で笑いをかみ殺すと、もう少し神田へと近付く。
肩が触れるか触れないかの位置で止まると、神田があと一歩の距離を埋めた。
跳ねる心臓とは別に、やはり神田に頼ってもらえることが嬉しくて顔が綻んでしまう。
と、ふわりとまた甘い香りがラビへと届く。
「ユウ、なんかつけてる?」
「?何がだ?」
「んーと・・・香水とか」
「こうすい・・・ってなんだ?」
小首を傾げて聞いてくる神田は、先程のように何かを隠している感じではない。
そもそもラビが香水と言うものを教えていないし、クロスやアニタが神田につけるとも考えられない。
仮につけたとしても、神田がなにかしら言ってくる筈だ。
(・・・庭で花の匂いでもついたんかね)
「ラビ、どうしたんだ?」
質問に答えてくれず黙ってしまったことが不安なのか、神田はラビの服を掴んで聞いてくる。
「ん?んーと、香水って言うんは人工的に作った匂いのする水のことさ。でもユウがつけるとは思えんから、きっとどっかで花の匂いがついちゃったんさね」
「そうなのか?」
「多分ね。それよりほら、本読むさ」
特に気にせずに、興味を本へと切り替えた。
「今日は何の本読んでんの?」
ラビにそう言われ、神田も先程夢中で読んでいた本へと意識を移すと、そうだ。としおりを閉じていたページを開く。
「これを読んでた」
そう言って開かれたページには、綺麗な花々が描かれている。
出会った頃にラビが見せたあの本だ。
「へぇ・・・ユウはもうこれ読めるんさな」
短い詩集と言っても、まだ単語を知らない神田には難しい本だ。
感心してラビが言うと、神田は眉を顰めて一文を指差した。
「・・・読めない。この単語がわからないんだ」
「あー・・・それでその横に辞書があるんかー」