美しいものがずっと咲いていることが美しいとは思わない。
けれど、儚すぎる命がただ散っていく様子も―――
もう、美しいとは思えない。



掌に絡めたのは 甘く儚い紅の花 1


静かな、物音一つ無い無音の空間にただ紙を捲る乾いた音が響く。
窓からは燦々と光が入って暖かなオレンジ色の髪を炎のように照らして暖めており、隻眼の翡翠の瞳が忙しなく左右を往復してはまたその指でページを捲る。
年の頃が十八歳ほどの表情は真剣ながらもその唇はニヤリと笑っており、彼が楽しんでいることを物語っている。
そう、『記録者』の後継だからと言って彼・・・ラビは無理矢理本を読んでいる訳ではなく、元々本や記録が好きなところに、ブックマンの後継と言うものがついているのだ。
本と言うものも歴史と言うものも日を追うほどに増えていき、知識を吸収することに終わりはない。
事実、自分の祖父も自分の何倍も生きているにもかかわらず、未だに記憶を続けている。
ラビはそれがまさに自分の天職だと思ったし、記憶者・・・ブックマンの後継であることを幸せなことだと思った。
「〜♪」
その本を読み終えたラビは、休みもとらずに嬉しそうに次の本へと取り掛かっていく。
世界中を旅するブックマンに家と言う家は無いが、様々な知識を提供する換わりに宿と食料、そしてこれもまた膨大な本を与えてもらえるので、不便はほとんど無い。
今もある豪邸の膨大な数が眠っている書庫へと入り浸っては日に二、三冊のペースで読み込んでいる。
それは地方の歴史や街の成り立ちなどばかりではなく、御伽噺や特産物などまでまさに雑食だ。
少しバランスを崩せば生き埋めになってしまいそうな中に、コツリと小さな足音が響いた。
「ラビ、どこにおる」
「ここさぁ。何、メシ?」
それはやはり祖父であり師であるブックマンの声で、ラビは読みかけの本を閉じると立ち上がってブックマンに顔を見せる。
ブックマンもすぐにラビを見つけ、そちらへと寄って来た。
「違う。・・・ここを明日には出る。お前も準備しておけ」
「え、明日ァ?!」
突然の予定に、ラビは目を丸くする。
ブックマンが予定を変えるのはよくあることだが、ここにはあと少なくとも一ヶ月は留まる予定だったはずだ。
「ちょ、待つさ!オレまだ読みたい本がまだまだまだまだあるっつーに!」
見ろとばかりにリストアップしてある本の山を見せる。
だがそれでも分厚い本がいくつも柱のようにつまれており、いくらラビでも一ヶ月で読めるギリギリの数だ。
これを明日までには読めないだろう。
そんなラビにブックマンは溜め息をつき、腕を組んだ。
「仕方なかろう。前々から手紙を送っていたところから急に知らせが来て、今すぐ来るなら蔵書を読ませてくれると言うのだから」
「・・・だからって・・・!」
「ここはいつでも読もうと思えば読めるが、そこの主人は大変な気分屋でこれを断れば次はいつ了解が取れるかわからん。しかもそこの主人が納めている本は、とんでもない貴重な資料ばかりなのだ」
「・・・・・・」
貴重な、と言うところでラビのブーイングが止む。
確かにここの蔵書もとても魅力的だ。
だが、ブックマンがこれ以上に価値のあるものだというのだからその通りなのだろう。
悔しいがブックマンの言うことは正しいことが多いのだ。
「・・・わかったさ・・・でもその用事済んだら、また絶対ここ来て本読むかんな!!」
譲れないとばかりに頬を膨らませるラビに、ブックマンは呆れたように苦笑を漏らす。
まったく、いつまで経っても子供のようだ。
だが、その欲は彼には・・・いや時期ブックマンには必要なものだ。
彼には自分以上に知識を蓄えてもらう必要がある。
ブックマンはラビの知識欲を内心嬉しく思いつつも、そのことを一片も顔に出さずにさも渋々と言うようにわかった。と頷いた。

■□■

今回ラビとブックマンが寄ったのは、大きな庭園が広がる屋敷だった。
「うっはー・・・すっげぇ」
すごいのはその広さも然ることながら、屋敷の様子だ。
イギリスのど真ん中にあり、日本式の庭園と家屋なようなそこは、広大な土地をまるまる庭園にしてしまったように見えるにも関わらず、整然として美しい。
日本の樹木や花だけでなく、様々な国の花がその花の好ましい気温ごとに分けられて育てられているのだが、それもひとつの芸術のようだ。
「ラビ、ボケッとしているな。行くぞ」
砂利の上に敷かれている石畳を踏みながらなかなか前に進まないラビを急かせながら、ブックマンはドンドン先へと行ってしまう。
口をあけてボケーッと見ていたラビも、置いて行かれそうになって慌ててその小さな背中を追いかけた。

中もやはり日本式で、玄関ではブーツを脱がされた。
室内でも靴を履いていることに慣れているラビは、そのスースーする足元が落ち着かない。
その上座っているところは椅子ではなく、座布団の上で正座をしているのだ。
初めてではないとは言え、慣れていないことには変わりなく、これが結構つらい。
だがその屋敷の主人が来るまでに応対してくれたのがとてつもない美人で、これにはラビも喜びを隠せない。
「どうぞ」
にこりと笑い、ブックマンの前に紫檀で出来た座卓に茶菓子と緑茶を置く。
「あなたは、和菓子と洋菓子どちらがよろしいかしら?」
こちらを向いてまたそろりと笑う。
なんでもない仕草のはずなのにひとつひとつがとても上品で、ラビは顔を紅くさせてしまう。
「あ、オレも同じでいっす」
気を使わせないように言えば、女性・・・アニタはまた綺麗に笑ってブックマンと同じ緑茶と茶菓子をラビの前に置いた。
「もうすぐクロス様がお越しになりますので・・・少々お待ちくださいね」
そう言ってアニタが立ち上がろうとしたところで廊下からどすどすと地響きのように遠慮の無い足音が聞こえてきて、それはラビたちが通された部屋の前でとまるといきなりスパーンと襖を開けたのだ。
「・・・・・・」
突然のことに驚きを隠せないで目をぱちくりしていると、その派手な赤毛の人物と目が合った。
そしてにやりと笑ったかと思うと、またどすどすと足音を立てて上座へと向かい、どすりと腰を下ろした。
「酒」
「はい、どうぞ」
クロスがそれだけ言うと、アニタは心得たように切子に入れた日本酒を差し出す。
それを同じ柄のお猪口にアニタが注ぐと、一気にソレを飲み干した。
「で、久しいな。ブックマン」
「ええ。あなたもお変わりないようで」
ブックマンも特に驚いた様子を見せずに茶を啜っていたが、クロスに声をかけられるとすぐにそちらに向き直り、軽く会釈をする。
「で、そっちが一応後継者か」
「・・・・・・」
一応。
その言葉に思わずムッとしてしまう。
確かにブックマンに言わせればまだ熟々の半熟らしいが、それを他人に言われるのはやはりムカつく。
だがラビがクロスを睨んでも、クロスはそんなの関係無いとばかりにブックマンと話を続けてる。
「で、何のようだ。・・・っつったって、まぁ手紙出したのはこっちだがな」
「ええ。また書庫を拝見させて頂きたく」
「じーさんもがんばるよな」
そう言いクロスはくつくつ笑う。
先日居たところにあった本もかなり貴重なものだったが、それをすぐに投げ出してまで見たいと言う貴重な文献がここにある。
十年ほど前にも訪れたことがあるらしいのだが、その時よりも増えている資料を見る為だ。
お猪口からちょびちょびと飲むのがまどろっこしくなったのか、クロスは切子の口から一気に酒を飲み干すと、またその口端をニヤリとあげた。
「ま、いいさ。じーさんにはいろいろ世話になったしな。いくらでも見てりゃいいさ・・・と、言いたいところだが」
「・・・?」
突然後ろについた言葉に、ブックマンも首をひねる。
「実は今ちょっと手が借りたくてな。それもあって手紙出したんだよ。っつー訳で書庫にいる間その一応後継者を貸せ」
「は?!っつっか、一応後継者って言うな!オレにはラビって名があんのさ!」
「『今は』ラビなんだろうが。・・・まぁいい、ガキ。お前ちょっと付き合え」
ブックマンはいくつも名前を持ち、その要所要所でその呼び名を変えていく。
そのことも知っているのか。
ラビは驚きながらも、呼ばれることの無い自分の名前に腹が立つ。
「嫌さ!オレだって書庫見てェよ!ジジィだけなんてずり、ィ!」
そこでスコーンと気持ちいい音がして、ラビの言葉尻が上がった。
ブックマンのコブシが炸裂したのだ。
「誰がジジィじゃこの莫迦ものめがっ!・・・いいでしょう、ラビを貸します」
「ちょ!!」
殴られた頭を抑えながら、ラビは慌ててブックマンを見上げるが、それよりもずっと強い威圧感を持ってブックマンはラビを見下げている。
「阿呆か。今お前が別に働かなければ、見ること自体出来なくなってしまうんじゃ。内容はわしが後から教えてやる。だから今回は言うことを聞け」
「・・・・・・」
そう言われれば、ラビは下がるしかない。
不服そうに口を尖らせていると、低いテノールでくつくつと笑う声が聞こえた。
「まぁ一日中ってー訳じゃねぇから夜にでも読んでろや。特別に寝室にだったら持ち出し許可出してやるからよ」
「・・・・・・わかったさ・・・」
自由に本を読めないのは不満なことこの上ないが、向こうも出してくれた妥協案を無駄にすれば本当にここに居る間本が読めなくなってしまうかもしれない。
そう思い、ラビは渋々ながらにも頷くのだった。

□■□

「お前は精霊っつーもんを知っているか」
「・・・万物に宿る、実体を持った存在、だろ?」
「まぁそうだな。じゃあ花精霊って知ってるか?」
「・・・かしょうれい・・・って、あの願い事叶えてくれるっつー花の精霊?」
一瞬答えに窮したラビだったが、すぐに答えると、ラビの前を歩いていたクロスは面白そうにラビを振り返った。
「なんだ、一応知ってんのか。半人前」
「・・・・・・」
その言葉には言い返せない。
確かに自分は、半人前だからだ。
それでも怒りで口元をヒクヒクさせていると、またクロスがその口を開いた。
「花精霊は、本当に稀に生まれてくる花の化身だ。精霊はいろいろな力を持っているが、花の精霊は特に別格。その力は、主人の願い事を叶えること」
ラビもその知識は本で知っている。
花精霊は花の中でのランクによってその力の大きさが異なってくるが、力が弱いものでも人間では絶対に出来ないようなことが出来る。
ただ、その分の代償は大きく、花は願い事を叶えると同時に枯れて死んでしまうのだ。
「俺はその花精霊の売買をやっている」
「――――――」
その言葉に、ハッとラビはクロスを見上げる。
同年代に比べれば背の高い方であるはずのラビですら見上げなければ目すら合わないその体躯が、ある部屋の前でぴたりととまった。
柱は漆で塗られ上品な艶を持っており、壁は百花繚乱が描かれている。
そしてその扉には不釣合いなほどに南京錠が嵌められていた。 「花精霊は、一人辺りがちいせぇ国の国家予算くらいの金で売れる。ちいせぇとは言え国家予算だぜ?なのに、買い手は後から後から来やがんだからまぁすげぇよな」
喉の奥で笑いながら、クロスはいくつにもかけられている南京錠を解いていく。
「花精霊は感情を持たねぇから、大概はすぐに引き渡されるんだが、まぁたまーにその感情ッつーもんを持って生まれてくるやつがいてな」
パチン、と最後の南京錠が解かれた。
「それが、こいつだ」
ギィ、と独特な音を立てて扉が開いていく。
――――そこには――――
「名前は神田。・・・つったって品種の名だがな。椿の精霊だ」
「―――――」
その姿を見た途端、ラビは固まって動けなくなった。
視線が、その精霊から離れない。
「・・・・・・」
くるりと、緩慢な動作で精霊―――神田がこちらを振り返り、そして思い切りクロスを睨みだした。
「お前には、今日から当分こいつの面倒を見てもらう」
クロスの言葉も耳に入っていない様子のラビの背中を、クロスはニヤリと笑いながら思い切りバシンと叩いた。
「いっ―――うおっ!」
あまりの勢いに痛いと言う間もなく前方に吹っ飛ばされ、よろめいてしまう。
「ボーっと見惚れんな、この半人前の阿呆が」
「・・・っ!」
「ほれ神田。こいつがお前の世話係だ」
クロスが顎をしゃくると、ラビも慌てて神田に視線を戻した。
つやつやの漆黒の髪に、黒曜石を思わせる瞳。
長く腰まである髪は結われてもおらずにただ背中に流されており、その身を包むのは、赤い紅い振袖。
そこには染め抜かれた白い椿が描かれており、金糸で刺繍がこれでもかと施されている。
しばらくボケーッとまた間抜け面で見ていたラビだが、重要なことを思い出し、ばっとクロスを振り返った。
「ちょ、待ってくださいよ!いくら精霊でも、女の子の精霊の世話なんて見れないさッ!」
もっと獣のような姿だったら話は別だが、どこから見ても神田は人間の姿にしか見えない。
ラビも多感なお年頃だ。
襲わないなんて保障は何も出来ない。
「安心しろ。精霊は男も女もねぇよ。神田は無性だ」
「・・・む、せい・・・」
「そこらへんお前が知らなくていいことだ。知りたかったらテメェで学べ。ま、世話ッつったって別に甲斐甲斐しくしなくていいさ。ちーっと話し相手になったり食事運んだり・・・まぁそんなとこだ」
「・・・はぁ・・・」
「わかんねぇことがあんならアニタに聞け。あいつも詳しいからな」
それだけ言うと、クロスは踵を返して部屋から出て行こうとする。
「んじゃま、がんばれや」
「へ?!あ、ちょ、待つさっ!」
「あん?まだなんかあんのか?俺は忙しいんだ。とっとと用件を話せ」
「そ、そんないきなり言われても困るさ・・・つか、話し相手って!!」
「話し相手は話し相手だ。・・・もういいな?俺は行く」
問答無用でクロスは去っていく。
慌ててもう一度ラビがクロスを呼んでも、もう振り返りはせずに、その扉がバタンと閉まった。
「・・・・・・」
がくりとラビは顔を伏せる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
自分はただ、本を読みに来ただけなのに。
「・・・・・・」
ちらりとラビは神田を振り返る。
先程こちらを睨んでいた神田は、興味を無くしたようにどこかを見上げている。
ラビはその視線を追いかけるようにしてぐるりと部屋を見渡すと、そこはなんともシンプルな部屋だった。
窓は天井に大きく丸い填め窓がしており、陽の光が燦々と部屋に入ってきている。
他には桐ダンスが一つに、布団が一組。それだけだ。
「・・・えーっと、神田?」
気まずくて名前を呼べば、視線を寄越してくれるもののすぐに逸らされてしまう。
「う、うーん・・・」
ぼりぼりと頭を掻き、何か話題になりそうなものを探す。
と、神田のすぐ傍に一振りの黒い刀が置いてあるのが見えた。
「あ、これって神田の?黒い刀って・・・なんか似合わないさぁ〜」
よ、と腰を上げ、神田の傍にある刀を持ち上げる。
刀は神田が持つには少し長く感じたが、持ってみると見た目ほどの重さは感じない。
だが、ラビがしげしげと見ている暇も無く、今までの緩慢な動作からは想像出来ないくらいに早い動きで神田が手を伸ばし、刀をラビから取り去った。
「――――」
あまりに突然のことにラビはきょとんとするばかりだ。
神田は刀を大切に胸に抱くと、ギッとラビを睨み上げる。
「―――ぇ、あ、ごっごめん!!」
それが神田の大切なものだと気付くと、ラビは慌てて謝り、頭を下げ出す。
「それ、神田の大切なものだったんだよな・・・悪い・・・本っ当、ごめん!!」
だが神田は聞こえないとばかりに立ち上がり、隅へと歩いていってしまう。
そしてラビを拒むように、壁に背を向けて座ってしまった。
「・・・神田・・・」
嫌われてしまった。
しかも初日三十分にして。
「・・・神田、ホントごめん。もうそれに触んないから許して?」
しかし、だからと言って諦める訳にも行かない。
驚かさないようにそろそろと歩いていき、神田に近付く。が、気配を察した神田はまた腰を上げるとラビから離れたところに座ってしまう。
「・・・うー・・・」
どうしよう。
女性とはいくらか経験はあるものの、全て遊びの軽い関係だったし、こんな硬い子は相手をしたことがない上に相手は精霊だ。
下手なことも出来ない。
悶々と考えている間に、どんどんと日が暮れてしまう。
結局それ以上何も出来ないまま、初日はアニタに呼ばれて終了してしまった。


「神田は誰に対してもそうなの。・・・あんなに怒ったのを見たのは久しぶりだけど、気にしないでね」
「・・・はぁ」
ラビを慰めるように夕食の準備をしながらアニタがそう話してくれる。
ここに居るのは庭師を雇っているだけで、後は全てアニタが一人で管理をしているらしい。
こんなただっ広いところだと、掃除をして洗濯をして食事の支度をして終わってしまいそうだ。
だがアニタは嬉しそうに、そして照れながら
「クロス様のためですもの」
とはにかむのだ。
「・・・アニタさんはホントにあの人のことが好きなんさねー」
ラビがにやっと笑いながら言えば、アニタはまた頬を染めて笑みを深めた。
だが、まさか明日もこの調子でいれる訳も無い。
どちらにしても今日のことはちゃんと許してもらわないと、ラビの気持ちが治まらない。
うんうん唸りながらラビは何か形に出来る侘びを考えるのだった。


「・・・・・・」
一晩考えても、神田への贈り物は決まらなかった。
まさか花精霊に自分の仲間である花を贈る訳にもいかないし、何よりここは街から離れたところにある為、買出しにすら行けない。
夜ならば読んでいいと言われた本も結局開くことなく朝が明けてしまい、二重でラビはがっくりとしてしまう。
アニタが起こしに来てくれるまで少しでも寝ようと布団に入るが、やはり寝付くことはできなかった。
「・・・おはよーございます・・・」
「おはよう・・・あら・・・」
目の下にクマをこしらえてきたラビにアニタは苦笑しながら、席を勧めてくれる。
そしてすぐに料理を並べてくれた。
トーストにカリカリに焼いたベーコンにスクランブルエッグ、コンソメスープにシーザーサラダと、日本式のこの部屋、そして紫檀の座卓にはあまり似合わない料理が並ぶ。
「いろいろ作ってみたんだけど・・・どうかしら?」
ラビは手を合わせて、まずコンソメスープから手をつける。
中にはキャベツと玉ねぎと人参、そしてソーセージが入っており、ブラックペッパーが散らされている。
どれも柔らかくなるまで煮込まれていて塩加減もちょうどいい。
「昨日も思ったけど、アニタさん料理うまいさ」
ラビが手放しでほめると、アニタは照れたように、それでも嬉しそうに笑った。
「そう言ってもらえると嬉しいわ」
美人な上に性格も良く、洗濯炊事も出来るアニタなら、男の手など引く手あまただろう。
本当に、どうしてあんな明らかにダメ男がいいのだろう。
(・・・母性本能が疼くってやつ?)
女はわからない。
きっとでこれは、本にも載っていないことなのだろう。
「ん?そ言えばジジィは?」
「ブックマンなら早くに起きてもう書庫に篭っているみたいよ。昨日も遅かったようだし・・・大丈夫かしら」
見た目同様年のいっているブックマンを心配してくれているが、ラビにはそれが無用なことだと嫌と言うほど知っている。
何せあの人は、三日徹夜してもケロリとしているのだ。
まだまだ黄泉からの迎えはこないだろう。
(ま、ありがたいけどさ)
口に出して言うのは恥ずかしいが、師であるブックマンからはまだまだ教えてほしいことが山ほどある。
それを全部教えてもらうまで・・・いや本音を言うのなら教えてもらった後までも元気でいてほしい。
彼は、唯一の自分の家族なのだから。


朝食はいつもの習慣でアニタが神田に運んでしまったらしい。
ラビは豪華な扉の前で迷い、足を止めてしまう。
「・・・・・・」
緊張する。
今までブックマンの代わりに爵位を持っている人たちと話したこともあったが、その時だってこんなに緊張しなかった。
ラビはチラッと腕に抱えている本に視線を落とす。
限られているこの状況でラビに出来ることと言えば、やはり話すことしかなかった。
昨日見る限りでは、神田は静かな状況を好むタイプだ。
多分ラビが一人で話していても煩がられるだけだろう。
「・・・あーもううじうじ悩むなんてオレらしくねぇさ!うざがられないように話すのだってブックマンとして大切なこと!」
よーし!と頬を叩いて気合を入れ直すと、アニタから渡された鍵で南京錠を解いていき、中に入る。
気合を入れたはずなのに、また心臓が煩いくらいにどこどこと鳴っている。
ラビはそっと中に入り扉を閉めた。
「・・・・・・」
神田は昨日と同じように部屋の真ん中に座って日の光を浴びている。
紅い服に、光を弾くつやつやとした黒髪。
神田はこちらに背を向けている為、ラビは呼吸をひとつすると驚かせないように気をつけながら神田へと近付いた。
「・・・おはよ」
「・・・・・・」
ぼぅっとしていた神田はラビの姿をその視界に入れると、すぐに細い眉を顰めて横に置いてある刀を守るようにしてその身に抱く。
やはりまだ怒っているらしい。
「・・・神田、ホントに昨日はマジでごめんさ」
ラビが座って目線を合わせて頭を下げても、神田はラビを見ようともしない。
まだ怒っているらしい神田にラビはへこみつつも、持っていた本を床に下ろした。
どさり、と結構派手な音を立ててしまうと、突然のことに神田は驚いたように目を丸くした。
その様子がまるで猫騙しを食らった猫のようで、可愛らしくて思わず笑みが漏れてしまう。
それを神田に気付かれる前に消すと、ラビはもう一度頭を下げた。
「昨日はマジでごめんさ。大切なもの触られたら怒るよな、そりゃ・・・」
「・・・・・・」
「でな、なんかお詫びしたくていろいろ考えたんだけど、いいの思いつかなくて・・・オレいろんな話しするの得意だから、よければ聞いてほしいさ。って、一方的なので悪いんだけど・・・」
神田は何も反応を返さない。
予想していたとは言え、必死に話している人物から何の反応も返ってこないのは正直ツラい。
だがこれも自分がしてしまったことだし、何より神田の相手をするのはクロスから与えられた仕事だ。
「・・・煩かったら流してくれていーからさ」
自分を納得させる意味も込めてそう言ってから、ラビは比較的薄い本をめくった。
そこには紺色の夜空に煌く星々たちが写されている。
星座の写真だ。
「神田は良く空見てるから・・・こういうのどうかなって思って。これは冬の星座の本さね」
そう言い、もう一ページめくる。
「これはオリオン座さね。冬の星座の有名なやつのひとつ。このオリオン座の真ん中にある三つの星は右からミンタカ、アルニラム、アルニタクって言うんよ。キラキラしててすんげぇ綺麗だから、結構簡単に見つかるんさ。
ギリシャ神話では、オリオン座は元々海神ポセイドンの子供ですんげぇでっかかったんだって。でもすんげぇ乱暴ものでみんな困ってたんさよ。そこで大地母神・・・大地の神様ね。が、さそりの毒針で刺し殺したんよ!
でなーこっからが面白くてな、確かにオリオン座はキラキラしてっけど、なんかこの話し聞いた後だと妙に威張って見えねェ?・・・なのに、このあと東の空からさそり座が出てくると、まるで避けるようにして西の空に隠れちまうんよ!よっぽど怖かったんさな〜!」
ははは、と笑いながら、ラビは次のページをめくる。
「あ、これもよく聞く星座だね。おうし座。ちっとわかりづらいけど、こっからここを結んで、頭がこれ。これはヒアデス散開星団。散開星団って言うのは、恒星の集団の一種さね。星同士が近い位置にあるもんで、こうして固まって見えるんさ。
これは全能の神ゼウスがエウロペって言う女の人に恋しちまった時に、姿を隠して近づく為に化けた姿なんさ」
と、そこで視界に白い手が見えた。
ドキッとしながら少しだけ視線を上げてみると、興味があるのか神田がこちらに少し近付いて本を覗き込んでいる。
自分一人がただペラペラしゃべっているだけだと思っていただけに、神田が聞いてくれているのはなんだか感動だ。
「・・・で、これがおおいぬ座。おおいぬ座にはシリウスって言う、太陽を抜かした中でいっちばん明るい恒星さ。ま、シリウス以外にこの星座にはあんま明るい星は無いからちーっと見つけにくいけどね。シリウスあったらあそこらん〜って感じかな。
・・・そいでー・・・」
「まだ見てる」
と、めくろうとしたページを押さえられてしまった。
ラビはきょとんとして目の前の神田を見るが、神田は気付かずに本を見ている。
・・・先程の、空気を震わせるような凛とした声。
あれは、神田の声・・・なのだろうか。
もしかして機嫌を直してくれたのだろうかとドキドキしながら、ラビはその口を開く。
「・・・神田は、星とか好きなん?」
だが神田はそんなラビの問いに答えずに、ただまじまじと本を見ている。
やはりまだ怒りも警戒も解けていないらしい。
トホホと心で涙を流していると、また神田がこちらに顔をあげた。
「早く」
そして、ただ一言だけそう言ってくる。
「・・・へ?」
ラビが対応に困っていると、神田は機嫌を損ねたように眉を寄せた。
「なんで、これがおおいぬ座って言うんだ」
早く。ともう一度急かされる。
「・・・ああ・・・」
どうやら神田は、この星座の成り立ちを聞きたいらしい。
聞かれればとりあえず答えたくなるラビは、すぐに説明を始めるのだった。



☆NEXT☆


コメント

始めちゃいました趣味小説☆
神田は椿より蓮だろーと言うツッコミも覚悟ですが、私の中では神田=椿でもあるんです。
それなりに長編になるとは思いますが、お付き合い頂けると幸いですv