「お前を身請けしたいんだ」
幾度目かの通い。顔を見た途端、ディーノはそんなことを言った。
「…は?」
思わず、骸の口からはマヌケな声が出てしまう。
整えられた髪には鼈甲や銀の簪が挿され、骸が動くたびにしゃらしゃらと綺麗な音を立てる。
打掛は紅地に金や銀の糸の華が舞っており、絹よりも上質な骸の髪がその上をさらりと揺れた。
「…突然何を言い出すかと思ったら」
ふぅ、と息をはきだすその唇もまた、紅。
血のような、いっそ毒々しい色合いにゾクリとさせられる。
「な、なんだよ!骸がそう言ったんだろ!69回通ったら話を聞いてやるって!」
「言いましたっけ?そんなこと。…それより、いいからこちらに座りなさい」
今だ入り口に突っ立っているディーノをひらひらと自分の隣りに招く。
自ら襖を閉じて、乱暴な足取りで近付くと、そのままの勢いで骸の隣に座る。
「…はぐらかす気かよ」
「さぁ」
くふふと笑い、漆の盃に透明な酒を注ぐ。
「…絶対、お前を連れて帰るからな」
真剣そのものの声。そして眼差しをふと見てしまい、骸は作り笑いをやめた。
「…僕を連れ帰ってどうするというんです。貴方みたいな御曹司が大枚はたいて僕を買ったところで夜会一回分の話題くらいにしかなりませんよ。もったいない」
「お前、俺がそんなことで身請けしたいって言ってると思ってるのか?」
「もちろん、思ってないから、言ってるんです」
悲しげに伏せられる目。
「…僕は男で、あなたの子を身ごもることも出来ない。この街一番の花魁ですけど、所詮遊女ですよ」
「自分で一番って言うか…いや一番だけど……じゃなくて!…もちろんンなことわかってる!それでも、俺はお前がいいんだ!いい加減わかってくれよ!」
「バカな。僕は貴方の為に言ってやっているというのに」
「俺の為だっていうんなら、俺のものになってくれ!」
ディーノは骸との距離を詰めると、ぽいぽいとその頭を飾っている簪を取り去っていく。
「ちょ、」
しゃん、シャラ、しゃらん。
涼しい音を立てて贈った簪すべてが畳の上へと落ちていく。
ディーノの突然の行動を止めようとする手を振り切り、結局全部を取り去ってしまうと、絹の褥へと横たえた。
まるで逃げないようにと言う様に、指に指を絡ませる。
「俺以外の誰かに抱かれるとか、そういうの…嫌なんだっ。俺だけを見て欲しい」
「ッ」
鳶色の、真剣な瞳。
咄嗟に逃れることが出来なくて、頬を紅く染めてしまう。
「…ばかじゃないですか、本当に…」
「ばかでもアホでもいいから俺のになって」
端整な顔が近付いてくる。
唇を避けて、頬と、首筋、それから項に口付けて、もう一度、骸。と耳元で囁かれると、思わず腰が揺れてしまう。
卑怯なくらいに、痺れる声。
蕩けさそうとわざとやっている訳ではない分、タチが悪い。
(…まったく、もう…)
漏れるのは、熱を含んだ息。
「…わかりましたよ」
「!!」
骸の言葉に、バッと顔を上げる。
「ほ、ホントか?!」
「もちろん、貴方が身代金を払えればの話しですが」
ディーノの動きが止まり、不安を宿らせたまま、喉をこくりと鳴らす。
「…いくらだよ…」
「貴方の、全財産を」
「―――――」
ディーノの動きが止まった。
「楼主への身代金はもちろん、それ以外に余った金は僕に払ってもらいます。当然ですよね?僕を一人いじめしようって言うんですから」
ニコリとアクマの笑みを浮かべる。
ディーノは答えない。
その様子を見て、ふ。と口端を持ち上げた。
「ね、無理でしょう?大体こんな強欲な僕を身請けしたところで借金にまみれるのは目に見えてるじゃないですか。ほら、とっとと言葉を撤回した方が「それでいいのか?」……は?」
「そんなんで、いいのか?」
再び見たディーノの表情は、驚いたもの。
目をまんまるに見開き絶句しつつもコクリと頷くと、はー!と大きく息を吐き出し、ディーノは快活に笑った。
「よかったぜー!もっと無理言われたらどうしようかと思ってた。国家予算、とかさ!」
「…………」
「あ、ちなみにそれって俺個人の財産っつーことで、会社とかはいいんだよな?…さすがに俺一人の都合で全員を解雇するのは…ちょっとな…」
一転、不安そうな、泣き出しそうな仔犬のような目で見つめてくる。
「苦労も、させちまうかもだけど…」
絶句。
もう、本当に、絶句しかなくて、言葉が紡げない。
ようやく我に返り、頭が回転してきたと思ったら、ひたすら溜め息しか出てこなかった。
「…馬鹿だ…」
「は?」
眉間に皺を寄せ、きつく目を瞑る。
「…大馬鹿ものだ、こいつは…」
「む、むくろ??」
「――――……」
喉の奥からどんどん湧いてくる嫌味をすべてごくりと飲み込み、そして何度目かの息を吐き出した後、もう一度、鳶色の瞳を見つめた。
「…身請けされて僕が貴方のものになるのなら、僕のお金も結局貴方のものじゃないですか」
「…ん?…そうなるのか??」
「大体、貴方ここに通って僕にいくら注ぎ込んでるかわかってます?二億は軽く超えてますよ、に・お・く」
「…お前に会えんなら、別に惜しくなんてない」
「……」
馬鹿だ。
もう、大バカモノだ。
頬が熱い。薔薇色に染まる。
嬉しくて、目元がジワリと潤んでしまう。
「…せっかく逃れるチャンスをやったと言うのに…」
ずっと繋がれていた手をほのく。
むくろ、と不安げに名前を呼ばれる前に、その腕でディーノを引き寄せて、額と額をあわせる。
「僕の負けです」
言って、唇にキスをする。
多くの遊女が、唇で操を立てるのを知っているから、ディーノももちろん骸の唇に触れたことがなかった。
驚いて固まっていると、するりと唇を割って骸の舌が入ってきて積極的に絡ませてくる。
嘘みたいに気持ちよくて、ディーノもおずおずと骸に触れていく。
くちゅん、と音がして、より深く唇が合わさる。
「……ッ」
ぱちんとディーノの中で何かが弾けた。
「ンっ」
強く身体を抱きしめ、これ以上接するところがないというほどに口付けて、舌を絡めてくる。
気持ちよいのは骸も同じで、それだけで腰がぴくんぴくんと動いてしまう。
は、とようやく唇を離したのは、すっかり二人の息が上がった頃。
「むくろ…ッ」
感極まったように、またディーノが抱きついてくる。
その後頭部を愛おしそうに撫ぜながら、耳元に頬を寄せた。
「…もうひとつ、良いこと教えてあげますよ」
「?」
「僕、貴方と出会ってから、初会と裏までしか通わせてないんですよ」
「…それって…!」
「馴染みの客にはちょっと裏の手を使って、手を切れさせました」
裏、は、座敷に二度目にあわせてもらうこと。
三回会わなければ床には入れない。
「僕はね、もう貴方以外に抱かれてないんですよ」
知らずに、そんなこと心配して。
そんな嫉妬が心地よくて、言わない自分も相当だけれど。
ディーノの頬が更に高揚する。じわじわと、耳まで。
情けない。そんな、目を潤ませてしまって。
「骸…!も、やべ…大好き…すっげ、愛してる…!」
「くふふ…知ってますよ、そんなこと」
あそこまでされては、もう疑う術もない。
ちゅ、と耳朶にキスをして、ずっとずっとディーノが望んでいるだろうその言葉を、大切に吹き込んでやる。
「僕だって、出会った時からあなたのことをずっと愛してるんですから…」
泣いてしまったディーノを、骸は茶化しながらも抱きしめて、慰めてやった。

ようやく捕まえた。