ふんふんと鼻歌を歌いながら、骸を軟禁している部屋まで軽い足取りで歩いていく。
本日の仕事は終了。
急用があっても知るもんか。
骸の力を封印する為に造った結界は電波等も防いでくれるからコールが入る心配もない。
文字通り、二人だけの部屋だ。
一日で最高の瞬間。
ああ、早く会いたい。
軽やかな足取りは、段々と走り出す寸前の急ぎ足に変わる。
早く会って、あのしなやかな体躯を抱きしめたい。

「やっほー骸くーん。大人しくしてた?」
骸はチラとだけ白蘭を見ると、また背を向けてしまった。
衣服を与えられていない身体にはシーツ。
背中を流れる乱れた髪は、夜空を映した緩やかな川のように身体を滑っている。
「そっぽ向かないでよー寂しいなぁ」
背を向けてベッドに座っている骸と同じように腰を下ろし、白蘭はそのすべらかな髪を触る。
「ねぇ、お話しようよ。あ、何か食べる?お菓子とか用意しようか?」
ちゅ、と髪にキスし、肩に顎を乗せる。
ふわりと骸の匂いがした。
おいしそうな、細い首筋。
かふ、と甘く噛む。
「…いい加減うるさいですよ」
ぐい。と顔を押して白蘭を遠ざけ、振り返る。
「僕に近付くなと何度言えば―――」
バチーン!!
突然耳元に響いた音。
何、と思う間もなく吹っ飛ばされて、白蘭はみっともなくベッドから落ちてしまった。
「あだっ」
いたた、と打ったところを撫でていると、ポカンとした思考の中に頬の異常な熱さが入ってきた。
「…痛い…」
と言うことは、叩かれたのだろうか。
反応できなかったくらい唐突に来た骸の平手打ち。
何で?と白蘭が首を傾げながら再び身体を起こすと、ベッドの上にはこんもりとした塊が出来ていた。
「…ありゃ?むくろくーん?」
そっと触ると、ビクッと震えた。
慌てて手を離しても、ふるふると塊は震えている。
「え、なに、ちょ…どうしたのさいきなりー」
まだ何もしていないのに。
訳のわからない攻撃にさすがに白蘭が眉を寄せていると、塊からもぞもぞと腕が出てきて、やはり震えているその手でこちらを指差した。
「…僕?」
「違いますよ!は、は、早くそこのKをなんとかしてください!!」
「…けー…?」
なんじゃそら。
思いながら骸が指差している辺りを見回していると、ちょうど白蘭の視線より少し上辺りにやつを発見した。
「ねー骸くんの言うKってこれ?ク「その名前を口にしたら殴りますよ蹴りますよ噛みますよ口聞きませんよ!」……」
蜘蛛を指差していた指をくるくると回し、結局口を閉じた。
殴られるのも蹴られるのも噛まれるのも慣れているが、口を聞かれなくなるのは困った。
「いいいいいいですから早くそいつを何とかしなさい!僕の目の届かないところに!!」
「…んー…じゃあ殺しちゃおっ「馬鹿を言うな!」…えー…」
再び遮られてツッコミが入った。
「貴方知らないんですか?!Kは殺してはいけないんですよ!!」
「……なんでさー。なんで殺しちゃダメなのー?」
「なんででもです!…早くっ早くどっかやってください!!」
かたかたと塊が震えている。
ここにつれて軟禁した時だって、こんな反応見せなかったのに。
どうやら本気で怖いようだ。
(なんか、珍しいもの見てる気分)
も少し見てたいな、なんて思う。
蜘蛛を引っつかんでシーツ剥がして骸に見せたら、もっと可愛い反応をくれるかもしれない。
(…でもそんなことしたらなー…)
口を聞いてもらえなくなる。
それはとても、とっっっっっても困る。
一日の癒しがなくなってしまうだなんて、とんでもない。
「うーん…わかったよーぅ」
白蘭はサイドテーブルから何枚かティッシュをとると、そっと蜘蛛を包んで部屋の外へペイッと放った。
後は蜘蛛がなんとかどっかへ逃げていくだろう。
「はい、骸くん終わったよー」
トントンと肩と思われる部分を叩いて、そっとシーツをとる。
不安がまだ抜けないのか眉が寄っており、迷子の子供のような視線を白蘭や辺りに向ける。
「…どこやったんですか…?」
「部屋の外にやったよー。死んでないから安心しなよ」
「…そうですか…」
白蘭の言葉に安心したのか、骸は強張っていた身体から力を抜いた。
に、と白蘭は笑い、骸と向かい合うようにベッドに腰掛ける。
「ク……K、嫌いなんだ?」
言われ、骸はこれ以上なく不快そうに顔を歪めた。
仮にも自分の敵に弱みを奪われ、尚且つ情けない姿まで晒してしまった。
骸にとって屈辱以外のなにものでもなく、警戒して白蘭を見る。
「ね、なんで?」
だが白蘭は骸のそんな視線に気付いているくせに、わざとのようにはぐらかしてくる。
「…存在そのものが嫌いなんですよ。あのフォルム動き神出鬼没さ…いっそこの世から滅べばいいんですよあんなの」
「さっき、殺すなっていってなかった?」
「それはそれ、これはこれです」
「なにそれー」
ププ、と笑い出した白蘭に、笑うな!と赤い顔で吼える。
「うんうん!そうだねーKは怖いよねー。…ついでにすんごい痛いや」
紅く腫れた頬。
咄嗟の一撃だったとは言え、フルパワーでの平手打ちはかなり痛かったろう。
「…すみませんでしたね…」
ぽつりと、消えてしまいそうな声で言うが、残念ながらデビルイヤーの白蘭にはしっかりと聞こえていた。
パッと顔を明くすると、じゃあさ!と詰め寄ってくる。その分逃げる骸。
「悪いと思ってるならさー!キスしてよ♪」
「…は?」
「お礼も兼ねてさ!骸くんから、キス☆」
「嫌ですよ。なんで僕が」
ハンと鼻で笑いそっぽを向こうとする骸を、いいのかなー。と白蘭が言葉で捕まえる。
「次、Kが出ても退治しないよー?」
ピタリと骸の動きが止まった。
ギリギリとぜんまい仕掛けの人形のように白蘭を見ると、にっこりといつもの胡散くさそうな笑顔を浮かべている。
「ね。お礼と、お詫びと、もしかしたらの事態に備えて。キスひとつで安いと思うけどー?」
にやにやと白蘭が笑う。
反論は、出来ない。
(…こういうところが特にむかつくんですよね…)
人の弱みをすぐ使いやがって。
悩みながらも、結局選択の余地はない。
ホントに、ホントーーーーに蜘蛛がダメなのだ。
遠目で見るだけでもアウトなのに、一緒の空間にいるなんて!
「………」
はぁ、と息をはき、再び白蘭に向かい合い、そっと頬に手を添える。
お。と思いつつ、骸の様子を見ている。
「…嘘ついたら殺しますよ」
「わかってるわかってる〜」
「…一度だけ、ですよ…」
「うんうん♪」
頷いて、そっと白蘭は目を閉じた。
戸惑ったように、何度か指が肌を触る。
空気が動いた。
ふわりと、骸の匂いが空気によって鼻に届く。
「―――――」
ふ、と唇に吐息があたった。
すぅと薄目を開けると、目を閉じて長い睫を震わせている骸の顔が極間近にぼやけた。
ちゅ。と一瞬だけ触れた唇。それだけで再び骸は離れていき、掌のぬくもりもなくなった。
「…これでいいでしょう?約束を守ったんですから、貴方も―――」
「い・や」
にっこり笑いながら、ぶったぎる。
ポカンとする骸。
その顔が怒りに染まる前に、白蘭は細い手首を掴んで骸を引き寄せる。
「ちょ、ッ」
「もっと長く、深いのじゃなきゃさ」
文句も怒りも全て飲み込んで骸の薄い唇を塞ぐ。
また歯を立てられるかと思ったが、舌で歯列を刺激しても必殺の一撃はやってこなかった。
どうやら骸なりに、蜘蛛を退治してくれたにも関わらず、理不尽な攻撃をしてしまったことを申し訳なく思っているようだ。
(うーん得したなぁ)
たったあれだけで、こんな甘いキスが手に入るなんて。
次はもう少し大きな蜘蛛をわざと用意してみようかな。

頼ってくれる骸の可愛らしさを知ってしまった白蘭は、上機嫌で唇を味わった。