最期の光景が鮮やかなオレンジだと言うのは真っ平御免で、せめて昏い中終わりたいと眼を閉じた。
そこで、この地獄が終わると思っていたのに。


「…あれ?」
眼が開いた。
視界には鮮やかな景色。
決して視界はオレンジで満たされてはいなかった。
意識が定まらない。ふわふわする。
だが確かに白蘭は『そこ』にいた。
「……おかしいな……どうして僕…」
脳がぐらぐらして、油断すればまた深淵の地に落ちてしまいそう。
身体を少し動かすだけでも億劫だが、痺れる感覚の向こうで確かに草が掌を擽った。
視線を動かせば、緑の絨毯に横たわっている。
木がさらさらと風に揺れて子守唄を奏で、木漏れ日がダイヤのように煌く。
芳しい薫り。
夢のような場所。
「眼が覚めましたか?」
低い声が聞こえた。
よく知った、誰よりも求めた声。
もう一度視線を動かせば、想像通りの表情で骸が見下していた。
「やぁ。また会ったね」
骸は答えない。
ただ、動けない白蘭から眼も離さない。
「ねぇ、どうして僕まだここにいるのかな?…死んじゃったんじゃないの?」
骸のそっけない態度は慣れっこで、白蘭はかまわず問いかける。
「死にましたよ。貴方の肉体は」
「……」
「『その』貴方は、ただの意識の切れ端です」
夢の中でしか生きられない、脆弱な生き物ですよ。
冷たい声で言い放ったと言うのに、白蘭はその事実に少しも驚かない。
ただ、ふぅん。と、それだけだ。
「…僕、骸くんに助けられたのかー…」
「勘違いしないでください」
すばやく動いた骸は空から三叉槍を取り出し、白蘭の首元に当てる。
避けられるはずもなく、白い喉を無防備に白銀に晒した。
「僕が貴方をほんの少し生かしたのは、この手でトドメを刺したかったからです…あの屈辱を晴らすために」
凍るような声。
動けば皮膚が裂ける中、白蘭はクッと笑った。
「嘘だね。骸くんはそんな非効率なことはしないよ。ボンゴレ敵に回してまでするようなこと、さ」
骸は答えない。
「今は無力な僕でも、可能性が残ったことでこの後どうなるかはわかんないよ?…ボンゴレは、果たして許してくれるかな?」
「ボンゴレなんて知りませんよ。僕は僕のやりたいことをするだけです」
「そっか…やっぱり骸くんの意思で僕を助けてくれたのか」
「助けてないと言っている!」
骸の指に力が篭り、先端が柔い皮膚に沈んだ。
まだ赤は流れない。
しかし、白蘭が深く呼吸をしたその瞬間、白蘭の身体に赫がのる。
圧倒的に骸が優位に立っているというのに、白蘭はただ静かに微笑むばかり。
彼は今、誰よりも死に近い。
これ以上怖がることなんて、なかった。
暫くの間沈黙を守った後、舌打ちと共に骸は三叉槍をしまった。
くそ、と白蘭の耳がかすかに拾う。
「……ねぇ、どうして僕を助けたの?…結構酷い事した覚えあるんだけどな」
背を向けたまま、骸は答えない。
白蘭はただ、静かに待っている。
それ以外、この空間ではどうすることもできない。
ひたすら、落ちてくる瞼と戦うだけだ。
結局、沈黙を破ったのは骸だった。
「……貴方が、」
「……うん」
「…貴方が、あまりに独りだったから」
「――――」
咄嗟だった。
鮮やかすぎるオレンジの向こうに消える白蘭を見て、こちらへ意識の破片を掻き集めて持ってきた。
「貴方が可哀想で可哀想でしかたないから」
「…そっか」
酷いことをされた。
消したくても消せない傷を残された。
それでも、咄嗟に伸ばしてしまうほどに彼は独りだった。
酷いこと、をされてわかった。
白蘭は、呆れるほどに独りなのだ。
世界に彼は取り残された。
選ばれたのではない。爪弾かれた。
だから自分が居られる世界を創ろうとしたのに、それすら叶わなかった。
世界に居られる世界を創ろうとしたがばっかりに、異端扱いされ、排除された。
無二の力を与えられて、それでも手にすることが叶わないなんて、こんな可哀想なことはない。
「往々にして世界なんてそんなもんですよ。…世界とて、人を選ぶ」
凡人と同じように世界を見れない孤独さは、きっと白蘭の他は骸にしかわからない。
わかりたくはなかったが、骸は察してしまった。
白蘭は、骸の拳が震えていることに気付いている。
すぐにでも自分と言う存在を消してしまいたいだろうに、戸惑ってくれている。
その戸惑いが、嬉しかった。
「なんで、どうして生きてるのかわかんなかった」
「…?」
ぽつり呟く。
「そもそも、この居心地悪いところ、何?みたいな」
「……」
まるで独り言のよう。
骸は無関心なふりをして、だが木の奏でる音に負けそうな白蘭の声をしっかりと拾う。
「でもさ、自殺しても面倒だし、ただなんとなく生きてたんだよね。マーレリングを手にした時だって、ゲーム感覚だった。…でもね、骸くんに会った時」
ふわり、笑う。
「ちょっとだけだけど、初めて世界に近寄れた気がしたんだ」
とても心地よかった。
手招きされた世界が、滲むくらいに嬉しかった。
「骸くんの為に生まれてきたのならよかったのになぁ」
もっと欲しくて、心地よくなりたくて、骸とずっといられる世界が欲しかった。
誰に憎まれたっていい。
ただ、世界に拒絶されない世界が。
「…僕はごめんですよ、そんなの」
吐き捨て、再び白蘭をねめつける。
「単なる同情心です。勘違いしないでください」
「…うん」
「肉体を失ってまでこんなになるなんて、不様ですね」
「うん。…でも幸せだから別にいいよ」
「…今度は貴方が僕に飼い殺される番ですよ」
噛み合わない会話を白蘭は楽しむ。
とろとろとまどろみながら。
身体は鉛のよう。
瞼は更に重くてたまらない。
それでも白蘭は鮮やかに笑った。
「じゃあ、僕はようやく僕の世界を手に入れられたな」
ここにあったんだ。
掠れた声で呟く。
掌から力が抜ける。
意識が、深い淵へ向かっていく。
けれどそこはあの鮮やかなオレンジではない。
(世界ざまぁ。…僕は手に入れてやったよ…)
笑みを浮かべたまま、白蘭は紫煙の瞳を隠した。
「…………」
もう動かなくなった白蘭を、まだ見下ろす。
「…なんて矮小な世界でしょう」
骸の声にはもう、嘲りはなかった。
ひたすら、白蘭が可哀想でならない。
彼は全てに嫌われた。
望むものは悉く手から払い落とされて、枠の外に落とされて、ようやくようやく手にしたのがこんなのなんて。
なおあんなに笑うなんて。
「………」
しゃがんで、白蘭に手を翳すと、霧の炎が白蘭に吸い込まれていく。
インディゴの炎に包まれて、希薄だった白蘭の存在が近くなった。
心臓の上に手を当てる。
ことん、ことんと、ごく緩く鼓動を繰り返す。
「…僕が飼い殺してあげますよ。やられたからには、やり返さないと僕のプライドが許しません」
眠っている白蘭には聞こえない。
「生き続ける地獄を味わえばいい」
冷たい言葉とは裏腹に、髪を梳く手はとても優しい。
「自由に動けないつらさを味わえばいいんだ」
まるで言い訳のように続けていく。
「…僕に許しを請うまでは、殺してなんてあげませんよ」
居場所を与えることと、どんな差があるのか、きっと白蘭はわからないだろう。
望んだ世界は、自分を弾かない、骸が居ると言うことなのだから。
「……可哀想な白蘭」
可哀想。
可哀想とわかってもらえる幸せを白蘭はようやく知った。
ようやく白蘭は思い通りにならない、小さな、それでもどこよりも心地いい世界を手に入れた。



世界の果てでも、そこは世界。
白蘭が望んだ、一人だけ許された、世界。
ならばそこはまぎれもないエデン。